12月も後半に差し掛かり、今年やるべきだったタスクを消化してしまおうと以前からGoogleに案内されていたスマートフォンのバッテリー交換のために池袋を訪れた。 駅のすぐ近くにある修理店にスマートフォンを持ち込み手続きを進める。交換には90分かかるらしいが承諾して店を出る。
4才の娘は妻が見てくれているし、思いがけず90分の自由時間が出来上がった。 さて90分間で何ができるか。妻子とは別行動になったので自分の好きな事ができるワケだが、僕の趣味と言えば本や文房具ぐらいなので、どちらかを物色しようと周辺のお店を検索しようとポケットに手を入れるが、空っぽだ。
何かをしようと思ったときに無意識にスマホに触れようとするあたり、完全にモバイルに支配されてしまっている。ズボンの尻ポケットで左手を空振りさせる姿は、誰も見ていないのに少し恥ずかしかった。
意図せずデジタルデトックスが始まった。90分だけだが。 幸い池袋はそれなりに知っている街だ。
迷わずジュンク堂へ向かう。 そう言えば辞書が欲しかったのだと思い出し、国語辞書のあるコーナーを探す。 最近意図的に手書きをする機会を増やしているが、手書きすればするほど漢字を思い出せずに困ることが増えてきた。 スマートフォンで検索画面を立ち上げて忘れた漢字の読みを打ち込む。瞬時に求めていた漢字が表示される。便利なものではあるが、僕の脳から漢字を忘れさせた張本人に漢字を聞くというのは何とアホらしい事であろうか。
別にスマホにライバル心を抱いているワケでもないが、スマホで漢字を調べるというのはなんとも味気ない所作である。 ここは、20数年ぶりに国語辞書というものに触れなおしてみよう、と思ったわけだ。 思いついたように書店に向かったので、事前の調査は特にできなかった。 スマホがあれば国語教師をしている姉に相談もできたかもしれないが、このときの僕はスタンドアロンである。 その場で見て決めるしかない。いくつかのフロアをさまよい、ようやく辞書コーナーを探し当てていくつか手に取ってみる。 新明解、三省堂、旺文社、岩波… 齢40を過ぎて初めて国語辞典を比べるという事をしたように思う。
前に国語辞典を使っていたのは高校生の頃であった。その時は確か旺文社のものであったと記憶しているが、学校指定の辞書だったので選択の余地はなかった。さて、国語辞典を比べてみると、驚くほど違いがある事に気付く。単語一つ一つの説明が辞書ごとに違っており、文字数をかけて説明するものや、あっさりとした記載しかないものもある。
前出の姉との会話で新明解が面白い、という事は分かっているが、あまり長く語られるというのは好みではないかもしれないと思い、なるべくシンプルなモノを選ぶことにする。僕は手書きのジャーナルのときに漢字や定義を調べたいぐらいのライトなユーザなのだ。
かくして岩波と三省堂に絞られたが、最終的には三省堂を選択した。現代語にも強い、というのが書店のポップに書かれており、僕の好みに合いそうだと思ったのだ。
選んだオレンジの辞書を手にしばらく書店内を物色してからセルフレジで会計をして店を出た。 年末という事もあったかもしれないが、有人レジはものすごい行列で、出版不況と言われる中でもジュンク堂ほどの大型書店ではこんなにも客がいるのかと驚いた。意外とみんな僕と同じでデジタルコンテンツだらけの生活に疲れているのかもしれない。そう思うと行列をなす人々に勝手な仲間意識を持ってしまう。
妻子と合流し家に帰り、パラパラとめくってみるが、薄い紙なので幼い娘に渡すとあっというまに引き裂かれるだろうから、さっさと仕事部屋にしまいこむことにした。少ししか触れなかったが、紙の辞書独特の匂い、専用の紙の感覚が心地よかった。以前、舟を編む、という辞書編集部の小説を読んだとき、どのように単語を選んでいくのか、ということがドラマチックに描かれていたのを思い出す。このオレンジの国語辞典にならぶ何万という語句も編者によって厳選されたエリート語句たちや期待の新人語句だと思うとなんとなく親近感も湧いてくる。今後、何回ほどこの辞書を引くことがあるだろうか。

少なくともしばらくはブログやジャーナル執筆時に手元に置いておこう。 しかし、久しぶりに使ってみると、恐ろしいほどに言葉を調べるスピードが落ちていた。しばらく使っていれば戻るかもしれないが、パラパラと語句を探す、前後で関係ない語句をみて、あ、こんな意味だったっけとか、こんなの載ってるのかよ、といった驚きを楽しんでみよう。

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