グレッグ・マキューン著『エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする』。 書店に行けば平積みされ、多くのビジネスパーソンが絶賛するベストセラーである。
本書のサブタイトルは「最少の時間で成果を最大にする」だが、もしあなたが作業を早く終わらせるためのショートカットや、小手先の時短スキルを求めているなら、この本は全くマッチしない。そのようなスキルの紹介は皆無と言っていいからだ。
この本が示しているのは、タスク処理の技術ではなく、「後悔しない生き方」そのものである。
死を迎える患者に「人生の後悔」についてインタビューをすると、「自分に正直に生きる勇気を持ちたかった」という回答が最も多かったという。本書はこの問いに対し、本当に大切なものが何かを見極め、その他の事は切り捨てる生き方を説く指南書だ。
読めば誰もが「その通りだ」と膝を打つだろう。 しかし、この書物の内容をすぐさま実践するのは極めて難しい。なぜなら、私たちは「重要なことを自分で選ぶ」ことの難しさを、まだ本当には理解していないからだ。
トレードオフという「痛み」を受け入れる
本書の根幹にあるのは、「人生において最も重要なことを見極め、それ以外のことには『ノー』を突きつける」という思想だ。
よくあるタスク管理術に「やらないことを決める」というものがある。本質は似ているかもしれないが、エッセンシャル思考は日々の効率化ではなく、「自分の人生を生きるための選択」を繰り返すことの重要性を説いている。
ここで避けて通れないのが「トレードオフ」の概念だ。
何かを選ぶということは、何かを捨てること。何かを得るということは、同時に何かを失うということである。 私たちは往々にして、「重要ではない何か」を選択させられ、結果として「本当に重要なもの」を失っていることに無自覚だ。
わかりやすい例を挙げよう。職場の飲み会だ。 「ちょっと飲みに行こう」と誘われ、同僚と愚痴を言い合うだけの飲み会に参加する。その場一時は楽しいかもしれない。ガス抜きにはなるかもしれない。 だが、その選択によって失っているものは何だろうか。
- 家族と過ごす温かい時間
- 静かに本を読む自己研鑽の時間
- 翌日の万全なパフォーマンス
- そして、小さくない金額のお金
これらすべてを天秤にかけ、それでもその飲み会を選ぶ価値はあるだろうか? 私はこの点についてのみ、正しい選択ができていると自負している。愚痴だけの飲み会は断固として断り、年に数回、気のおけない大事な仲間やかつての同僚たちとこじんまりとした会を開くのみとしている。 一時しのぎの楽しさのために、取り返しのつかない時間を失うのは、トレードオフのバランスがあまりにも悪いからだ。
飲み会の例はわかりやすいが、私たちは1日に何回もこうした選択を迫られている。エッセンシャル思考とは、無意識に行っている選択の中に潜むトレードオフに気づき、痛みを伴ってでも「正しい選択」を掴み取る思考法なのである。
「ノー」と言えない私たち
本書の中盤は、「ノー」と言うことの大切さに大半が割かれている。 断ることで逆に評価された、何事もなく過ごせた、というエピソードが随所に登場する。それほどまでに「断ること」は重要視されているのだ。
しかし、この「断る」という行為こそが、現実には最も難しく、最も勇気を必要とする。
この本を読んでいる時、ある1人の友人の顔が頭に浮かんだ。 某大手メーカーに勤めている彼は、日々上司から指示される膨大な量のレポートや書類作成、調査や説明に忙殺されている。仕事の楽しみなど全くなく、ストレスで酒の量は増え、やめていたタバコも再開してしまったという。しかも、彼は新婚である。
彼にとって本当に大切なことは何か? 本人でない私が断じるのは失礼かもしれないが、間違いなく「今の仕事に忙殺され、心身をすり減らすこと」ではないはずだ。 そう思った私は、彼にこの本を紹介してみた。もちろん、押しつけがましくならないように配慮して。
ところが、彼はこの本をすでに読んでいたのである。それも、私よりもかなり前に。
他責から「自責」へ、そして習慣へ
本を読み、理屈を理解していても、彼は変われなかった。 「自分の職場ではエッセンシャル思考は許されない」と彼は言う。
確かに、ここ数年の忙殺ぶりによって思考力を奪われてしまっている可能性はある。だが、彼が「ノー」と言えない理由はそれだけだろうか。 気になるのは、できない理由を「職場」や「上司」に見ている点だ。「○○だからできない」「XXだから断れない」という他責思考に陥っていることが、根本的な原因の一つではないだろうか。
ここで重要になるのが、コーチングにおける「自責思考」への転換だ。 自分を変えたい、状況を変えたいと願うのであれば、矢印を自分に向けることは必須である。そうでなければ、どんな立派な目標を掲げても行動変容は伴わない。(これについては別記事で紹介している『コーチングの基本』が参考になる)

さらに、エッセンシャル思考における「悪い行動(他人に決定を委ねる)」を取らないためには、意志の力だけでなく「習慣化」が必要だ。 本書でもトリガー(行動の引き金)の設定について触れられているが、記述はさらりとしている。習慣化の技術については、コーチングの大家マーシャル・ゴールドスミス著『トリガー 自分を変えるセルフコーチング』に詳しいので、併せて一読されることをおすすめしたい。
自責思考を持ち、トリガーを設計して習慣を変える。 理論上はこれでエッセンシャル思考になれるはずだ。だが、それでもまだ「最後のハードル」が残っているように思う。
非エッセンシャルな「ガムシャラ」が土台になる
本書を読んで「エッセンシャル思考に切り替えて人生を取り戻した!」と胸を張れる人は、一体どれだけいるだろうか。 仕事を失うかもしれない恐怖、左遷されるかもしれない不安に打ち勝ち、「ノー」と言えた人はどれだけいるだろうか。
「ノー」と言うには、クビになる覚悟が必要だ。 そしてその覚悟を支えるのは、「いざとなれば他でもやっていける」という自分のスキルや経験への自信である。
逆説的ではあるが、私はこう思う。 かつての「非エッセンシャル思考」で没入し、詰め上げてきた経験・キャリアこそが、エッセンシャル思考への移行を後押しするのではないか?
私がこう感じるのは、すでに40代中盤に差し掛かっているからかもしれない。 20代から30代の前半までは、徹夜も、泊まり込みも、土日勤務も当たり前のような環境で働いていた。今思えば非効率極まりないが、それによって圧倒的な量の仕事をこなし、失敗も挫折も味わった。 間違いなく、その「無駄」とも思える経験や知識が血肉となり、今の仕事や自信に繋がっている。
「断る力」は、一朝一夕には身につかない。 若い頃のガムシャラな「量」の蓄積が、ある段階で「質」への転換を可能にし、初めて本当の意味で「選べる」立場になれるのかもしれない。
これからの若い世代においては、そのような非効率な働き方はナンセンスかもしれない。AIが仕事のあり方を変えていく現代において、ガムシャラな働き方は本当にただの徒労になる可能性もある。
それでも、エッセンシャル思考は「楽をするための技術」ではない。 痛みと責任を引き受け、自分の足で立つための、大人の哲学なのだ。

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