書評 コーチングの基本 僕がやっていたのはコーチングごっこだった


部下の話を聞くことに時間を割いているのに、なぜか手応えがない。 そんな悩みはないだろうか。

僕もそうだった。 傾聴し、沈黙を待ち、質問を投げる。 技術を駆使しているつもりだった。

しかし、この一冊『コーチングの基本』(コーチ・エィ)を読んで、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた 。 僕はこれまで、「コーチングごっこ」をしていただけだったのだ。

目次

「良い話ができた」はコーチングの成果ではない

本書には、冒頭から厳しい現実が突きつけられている。

コーチングはあくまでもクライアントのある特定の目標を達成する手段として行なわれる

僕はこれまで、部下の話を引き出すこと自体を目的にしていた節がある。 じっくり話を聞いて、「今日はいい話ができたな」とお互い満足して終わる。 だが、部下の目標は達成されていない

「対話には満足したが、目標は未達だった」 これはコーチングの成果とは言えないと、本書は断ずる 。

今まで僕がやっていたのは、「僕が気持ちよくなるためのコーチング」だったのかもしれない。 「僕の願望のためのフィードバック」になっていなかったか 。 成果が出なければコーチングの意味はない 。この言葉が、40代の未熟なマネージャーの心に重く響いた。

なぜ「自責思考」が必要なのか? 精神論ではなくロジックで理解する

もう一つ、目からウロコだったのが「自責」の捉え方だ。。

相手が他責の意識でいる限り、コーチングプロセスを行動計画まで進めてはいけない。責任の所在が他者にあると考えているうちは、行動を起こすのは本人ではなく他人ということになるからだ。

これまで「自責思考」というと、「何でも自分のせいにしろ」という精神論や社畜マインドだと思っていた。 だが、この本を読んでロジックがつながった。

  • 他責(あいつが悪い、環境が悪い) = 課題は他人にある = 自分に変えられるものはない = 行動不要
  • 自責(自分に何かできたはず) = 課題は自分にある = 自分の行動を変える = 成長と変化

実際に自分に責任があったかどうかは重要ではない 。 「行動の主体」を自分に持ってくるために、自責というマインドセットが必要なのだ。

20年前、新卒時代の人事部長が「電車の遅延さえも自責で考えろ」と言っていた意味が、ようやく言語化できた 。 彼は理不尽を強いていたのではない。 「自分の人生のハンドルを他人に渡すな(=自分でコントロールできる領域に身を置け)」と教えてくれていたのだ。

生兵法は大怪我のもと。「技術」だけが独り歩きする危険性

本書では、「傾聴や質問などの技術を知られるようになったが、技術だけが一人歩きしていることもある」と警鐘を鳴らしている

これは他のマネジメント理論でも同じだ。 例えば「識学」。 ベストセラー『リーダーの仮面』などで有名だが、僕の身近でも、本の一部だけを切り取って実践し、大失敗した例がある

営業職だった妻の上司の話だ。 その上司は、部下が目標を達成しても特に評価もせず、機械的に次のリストを渡すだけだったらしい 。当時目標を達成していたのは僕の妻だけであった。しかし、妻共々、達成できたのだからより多くの成績を出せるように、と大量のリストをノルマとして渡してきたそうだ。
結果、反感を買い、大量離職につながった 。もちろん妻もやめたし、それから約3年たった今その会社は倒産の危機に瀕している。 これも「道具」の使い道を間違えた結果だ。

コーチングも識学も、表面的な技術だけを真似すると凶器になる 。 だからこそ、迷ったときに立ち戻れる「原典(バイブル)」を常に手元に置いておく必要があるのだ。

まとめ:常に「自分が間違っているかもしれない」と疑う

実践しなければ成長はない。 でも、我流で進めば間違った方向に行くこともある

「自分はもしかしたら間違っているかもしれない」 そう疑いながら、トライ&エラーを繰り返すしかない

この『コーチングの基本』は、そんな迷える40代の本棚に常に置いておくべき一冊だ。 教科書のようにいつでも読み返し、コーチングの本質を忘れないようにしなければならない。

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この記事を書いた人

40代のITコンサルタント / マネージャー。
0と1のデジタルな世界で「効率」を追求する反面、プライベートでは「手触り」のあるアナログな道具を愛する。
愛機はFUJIFILM X-E4とLAMY Safari。
都内近郊の「窓のない書斎」にて、仕事道具への投資対効果と、大人の生活の質(QOL)について思考する日々を記録中。

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